お寺や僧侶の役割を考える
久しぶりの投稿となりました。
今日からお彼岸、境内に隣接する墓地にお墓参りに来られた方がもう二桁を超えましたよ。
が、本堂まで上がられた方は所要で来られた門徒総代さん唯一人。最近お寺参りも新型コロナウイルスの影響でめっきり減りました。
もちろん年回忌法要など家族のみの法要が増え、それまで必ず参っておられた方の姿が見られないのは残念なことですね。
お寺になぜお参りするの?
浄土真宗では各種法要や家庭のご法事では勤行(おつとめ)と法話(ほうわ)がセットになっています。
仏徳讃嘆のおつとめとともに重要なのが、法話のお聴聞ですね。
念仏道場としてお聴聞の場である本堂の外陣(げじん:お参りされた方々が座る畳の間)が内陣(ないじん)と比較して広いことでもおわかりかと思います。
法話をお聴聞させていただき、阿弥陀さまがなぜ私たちを等しく救おうとされたのか、阿弥陀さまが本願を起こした理由、つまり自らの力では決して迷いの世界から出ることのできない衆生を救うために、本願が起こされたこと(仏願の生起本末:しょうきほんまつ)をたずねてゆくのです。
葬儀や年忌で読経する役割が僧侶で、お寺はその場所にしか過ぎない(最近は葬祭場での葬儀が主流だが)と思われている方がほとんどではないでしょうか。
自身の生き方を振り返り、お粗末(凡夫)な我が身を自覚するご縁の場として、お墓参りも結構ですが、各寺で勤められる彼岸会(ひがんえ)にぜひお参りさせていただきましょう。